「北斗現るところに乱れあり」という村のご長老のセリフはツッコミどころ満載ですが、ケンシロウは、水を求め彷徨い倒れた村で牢屋に閉じ込められ、村が悪党共に襲われたを聞きつけ、悪党をやっつけ村を助けて去っていきました。ケンシロウに助けられたリンは、去っていくケンシロウの後姿を悲しそうに見つめていたところ、北斗神拳の使い手が現るところに乱れや災いがあるから、すぐ去っていったんだと、長老に諭されました。
文面通り受け取らず、世の乱れや災いがあるところに北斗神拳の伝承者がいつも駆けつけて助けてくれたと、因果の法則に沿って考えるのが理にかないます。でないと、ストーリーとして成り立ちませんからね。
もし、文面通り受け取るなら、救世主のはずのケンシロウが、ワザと悪党共を村におびき寄せ、圧倒的強い戦闘能力で、指先一つでダウンして(少ない労力で)、村を救った印として、食料もない時代(199X年世界は核の炎に包まれた。海は枯れ、地は裂け、全ての生物が絶滅したかのように見えた。だが人類は絶滅してなかった。)に、食料や水を分けてもらって、内心エヘヘとなっているなら、読者の共感は得られず、連載は打ち切りだったでしょう。ですから、もし本当に自分がそこにいることで乱や災いがもたらされるを本気で嫌がやるなら、どこにも行かず暮らすしかないからです。
やはり、「愛を取り戻せ」と言うテーマソングがあるように、愛や憎しみをテーマに闘いながら旅をしたからこそ共感が得られたのだと思います。
因果の法則に沿って太っている人について考えると、太っている人は不健康そう、一緒にいると暑苦しい、一緒にいてもすぐ疲れてしまうので一緒に行動しづらいなどの理由で、好きになれない、または嫌いだと考えるのが普通です。
逆に身近に嫌いな人がいたとして、その嫌いな人がみるみる太っていったとします。因果の法則に当てはめようとしても、その人のことを嫌いだから、その人は太ってしまったと考えるのは無理があるのではないでしょうか。
その人を嫌いだからその人は太っている(みるみる太ってしまった結果)と考えられない以上、太っている人は、上記のような様々な理由により大多数に嫌われているので、結局は自分自身が変わるしかないのです。
お相撲さんと結婚する美人の方がいますが、あの行為の際、お相撲さんに上に被さられる訳にいかないので、あの巨体の上で騎乗位で頑張ってるところを考えると、女性が頑張るばかりで不公平な気がします。横綱や大関だと収入は高いでしょうが、日常は、相撲部屋の女将さんになって、ちゃんこ鍋の買い出しや用意や洗濯など大変なことの方が多い気もしますが。他のアスリートは、専属のトレーナーや自身で管理することの方が多そうですからね。
よっぽど特別なことがない限り、太っていて周りにいい影響を与えるということはない気がします。
話を戻して、その人のことを嫌いだからみるみる太ってしまった、または、太っている(みるみる太ってしまった結果)だとしたら、そんな理不尽なことはないので、嫌うのやめようと思います。嫌われているのに、極度のストレスを感じて、ドカ食いして太ってしまったのだったら、それはもはや自己管理の悪さが問題になってきます。
ビューティーコロシアムって番組がありましたが、整形でブスの人がいきなり美人になって出てきたりして、芸能人らにワーッと言われ喜ばれる番組がありましたけど、個人的には好きでした。
例えば、極度の出っ歯を気にする人だったら、上顎の骨を削ったりして、上顎を引っ込めていきなり綺麗になって出てきたりして、整形技術って凄いなーだとか、素直に綺麗な顔になって羨ましいだとか思ったものです。
太っていることで悩んでいる人が多いからでしょうか、デブの人は世間一般的には、嫌われているのにも関わらず、ダイエットの過程を映したりする番組があって、僕は嫌いでした。そもそもなぜ嫌われている人達を応援する必要があるのでしょうか。
だってその太ってしまった人というのは、誰かに嫌われて、太ってしまったというわけではないですよね。もしそうだったら、呪いにかかったレベルで理不尽すぎるので番組の視聴者やスタジオの芸能人が応援するのもわかります。
可哀想がられる必要もない人たちを応援してどうするのという気持ちでした。まだ、スタート地点に立ってもいないじゃないですか。
でお話ししたように、この世に出回っている食べ物の8割がダメなものにも関わらず自分から食べた結果でしょうに。
実は9割がダメなものとも言われています。僕は優しいので、ダメな食べ物を食べている読者をも取り込もうとしたので、控えめに言いました。
薬局を例に話すとわかりますよね。なんで、健康な商品を扱うはずの薬局で、タバコやお酒、カップ麺、ポテトチップス、菓子パン(ぶっちぎりで一番体に悪い)が売っているのでしょうね。
薬局好きな人はデブです。
健康的なイメージがあって行ったとしても(薬局で売られている主力商品を体にいいと思う人はいないでしょうが)結局は、体にいいものは簡単にいつでも手に入るから、今回は冷凍食品や菓子パンを買おうとなっているんですよね。結局は、人間の健康志向なんて、重なっているティシュペーパーを2枚に割いた薄いペラペラなもののように簡単に破れてしまうものです。本来は健康的なはずの薬局に体にいいものを買おうと思って行ったとしても、今日は冷凍食品や菓子パンにしとこうとなるんだったら、人間の健康志向なんて、本当にろくでもない役立たずですよね。
でも、太っている人は嫌われているので、役立たずの健康志向だって、どうにかして活かさないと嫌われずに生きていくなんて不可能です。太っている人の健康志向は役立たずですけど、他人がどうこう言ったところで結局は、役立たずなので、結局は自分で健康的な食事や食品選びを勉強しないといけないのです。自分で勉強せず、自らダメな食べ物を欲し、食べ続けた結果太って嫌われているのに、嫌いにならないでほしいと文句を言うのはお門違いです。
スーパーや薬局、外食に行けば、小麦粉の食べ物だらけですが、現代最高峰の白い麻薬を法で規制されていないからといって、食べれば(急激な血糖上昇により脳の炎症を引き起こして、満腹中枢のリミッターを解除したり、グルテンの分解物グリアジンのがモルヒネ受容体に結び付きドーパミンを放出し、快楽が爆発するなどして)よっぽど気を付けない限り中毒になるのに、薬局に行けばいつでも体にいい物が手に入るからという理由で今日は菓子パンを買おうとは普通の人はならないですよね。
麻薬中毒者は、田代まさしが5回も6回も捕まってて、やめたくてもやめられないように、ほとんどの人が再犯するから、社会では厳しい目で見られているのに、太っている人に対しては優しすぎじゃないでしょうか。例えば交通事故の衝突により脳の満腹中枢を司る部分に腫瘍ができてしまって、満腹中枢の働きが鈍っているとかだったら、しょうがないです。医師から証明書を出してもらい、症状が記載されたワッペンを服の分かるところにでも貼ればいいと思います。そうすれば、やむを得ず太っている人へは偏見からの差別はなくなります。大体の人は、自己管理ができてなかったり、勉強不足なだけです。そういう怠け者に対しては、普通でない人と区別しないといけません。怠けていて家庭や社会や、飢餓や地球の食糧問題や環境問題に悪影響を与える人として区別すべきです。飛行機に乗るとき、小錦みたいなデブに対しては座席2つ分の料金を頂くのはもはや当たり前ですよね。これに対しては、ちゃんとお金を払ってくれているのであれば、ありがとうという気持ちも生まれます。差別していては何も始まりません。
笑い話で、アメリカのファーストフードで育ったデブが便器に座り、便座を自身の重さで割って便器にお尻からハマってしまい、レスキュー隊に助けてもらったという事件がありますが、本当に迷惑ですよね。
田代まさしも、麻薬中毒者は普通でないないから頼れるのは、同じく麻薬中毒になった仲間だけだと分かってからは、気が楽になったといいます。明日のことはわからないけど、今日一日一緒に乗り切ろう。日々が葛藤との闘いだそうです。
我々普通の人は、そうやって不安や葛藤と闘う麻薬中毒者が一日一日乗り切るのを見守るしかないのです。それが10年かかるかも分からないのです。差別するのではなく区別するしかないのです。普通の社会で生きる人が普通でない人に手は差し伸べられないのです。ダルクの人たちだって普通の社会に生きる人に麻薬中毒になって苦しい気持ちを分かち合い一緒に解決しようなんていうのは、望まないでしょうけど、小麦のグルテン中毒の人は、いつもうどんやパン食べたい気持ちはどうすればいいのみたいな無茶苦茶なことを言ってきますが、法で規制されていないだけで、立派な中毒です。だからダルクという一般社会とは切り離された場所で自分達の立ち位置を理解しながら頑張っている人よりたちが悪いのです。
彼らの言い分はこうです。
なんでスーパーや薬局に行けば菓子パンが売られているでしょう。そんな悪いものが売られているわけがない。あわよくば、美味しいから一緒に食べたらいいのに。そうすればこちらは苦しい思いをしなくていいのにと。
もはや邪悪の中の邪悪です。
パンをどうしても食べたいのだったら、無性のパン好きとパンが如何に好きで、如何に食べたいか語らえばいいのです。
僕みたいな普通の人は、パンコーナーに近づかないですし、たまに通り過ぎるパンコーナーで、もともと安い菓子パンの値引き札を見てどれがいかにお買い得か天秤に掛けているデブを見ると、僕らとは生きる世界の違う全く別の人種と区別するしかないのです。
ちなみに中華料理をやっている僕の友達は、優しいので、アメリカのスーパーでチョコレートを大量にカートに入れている黒人に対して、こんなに食べたら体に悪いし、太ってしまうよとアドバイスをあげて、カートから棚に返してあげたら黒人は、大泣きしてしまったそうなのだが、決して感動して泣いたわけではないです。ただ、なんで自分がこんなことを言われないといけないのという被害妄想で泣いただけで、やはり、デブというのは、次に進めない生産性の低い人たちなのだなあと思いました。
如何に太っている人が周りにいい影響を与えないのかは、北斗の拳の敵のハート様がいい例です。普段は仏のように怒らないことで有名ですが、血を見たハート様は、周りからの抑制が全く効かない暴走機関車になってしまうのです。周りの部下は、いつハート様がブチ切れるかビクビクしながら、生活しなければいけないのです。普段怒らないのは、ただ脳の血管に脂肪が詰まってるとドカ食いのあとのインスリンショックで、ボーッとしているだけで、基本的には、いいデブなんて存在しないのです。太っている人は怒り方が、脳が炎症している人独特の激昂タイプが多いです。ただすぐ疲れてしまうので、長くは続かないです。
結論、いいデブなんて存在しないのに、デブは嫌われていて自分は、可哀想とすら思っている。
因果の法則に当てはめると、太っている人は、様々な理由があって嫌われている。
因果の法則を頭の中から消し去り、宇宙の彼方に追いやってしまった存在というのが、デブなのです。とっても、自分に都合よく考える癖があり、ちょっとくらいなら、菓子パンやお菓子を食べてもいいと思っています。脳を支配するのは、グルテンの分解物グリアジンによるモルヒネ受容体への麻薬級の作用や脳天を直撃するほどの急激な血糖上昇によるドーパミンによる快楽であり、太って嫌われていることの原因が大体は小麦食を好むからにも関わらず、何故、パンを食べてこんなに気持ちよくなれるのに、パンを食べて責められなきゃいけないのかと、自分が嫌われている原因すら、快楽によってかき消してしまっている状態なのです。
その点麻薬中毒者の方が、自分の社会的立ち位置を理解して頑張っているので応援したくなります。
ただだいたい裏切られるのですがね。家族はさぞ悲しいでしょう。
のりピーはこのまま頑張れそうですね。
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