存在するということを言靈的にも、形象文字的にも解説します!
ありてあるもの(存りて在るもの)=宇宙、世界、個人の幸せを計画し、具を用意し、実現に働いているものである。この和多志の波動の中に全てが息衝いている、即ち全ての命,存在は我(ゝ=主=神)在って、成(長)るものなり。
言ってしまえば、和多志の5感で感じ取ったもの全てが、地球、ひいては宇宙を作っているということになる。
存=ナイフ十=成る意はフ(負の風)を十(火水のカミ)として受け止める神の子の働きに懸かっている=子は希望の星=成長を期待されている。
火は、縦に燃える上がる男性的な陽を表し、
水は、横に広がる、横に繋がる女性的な陰を表し、
縦の火と横の水が交わり(火か 水みず)火水かみ≒神の子 神の子を表す十字架となります。それが、存在の存の子部分のフの下の十となるのです。
在=ナメ土=成る芽は土に懸かっている。土=神が地に降り立った、訳は芽を育てる為である。
つまり、良い世の中を作るには、大人が自身を労り(仕事なんかでストレスを溜めず)、子供にも自分を労る以上についつい労わってしまうのが、正解です。
仕事で疲れて、ソファで1日寝て過ごすなんてのは、絶対NGです。
子供とは、大地のミルクを飲むために、自然の場所へ出かけては、綺麗な空気を吸ったり、薪割りをして、一緒に火起こしをしたり、魚を釣っては一緒に食べたり、野草や山菜を見つけては、天ぷらを食べるのです!
母なる大地のおっぱいに、お父さんも子供も一緒に吸い付けばいいのです。
それが、子供の純粋な心を持ったままの大人の男で、自然体な姿であるならば、それを子供は、勝手に真似するからね。
野草って考えると犬のおしっこ問題考えるけど、大地のミルクと捉えれば嫌じゃないでしょ?白くって綺麗なものをイメージするからネ🌈🌈
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