人類が猿だった時代に、(ここでは日本猿を例に取って話します、イメージしやすいので)
まだお尻が他の猿から見えてた時代に、
「ねー君のお尻の穴の周りに黒い点があるよ」と指摘されて、
いちいち怒っていただろうか。
自分では見えなかったんで、へーそうなんだ有難うくらいに返すのが普通なんではないでしょうか。
仲の良い場合だったからと言って、そういう君のお尻の穴も見せてとはならないでしょう。
靈止(ヒト)でいうなら、なんとか相手の弱点を炙り出してやろうだとか、弱点を突くとかいう心理にはならないでしょう。
なぜなら、そもそも、いつも友達のお尻の穴に限らず他の猿のお尻の穴もお尻の穴として見てるからね。
あくまでも、お尻の穴に対して氣持ちを込めずに視覺的情報として見ているのです。盛りのついた雌の猿がお尻を真っ赤にする時は、雄も当然反應するのだけれども。
自分のお尻の穴の狀態を指摘されて、あえて相手に返す言葉として一つ挙げるなら、「そういう君はほくろこそないけど、梅干し食べたおばあちゃんの顔みたいに皺くちゃだよー」です。
上記のようにかなり的確に言い表すことも出来るのです。
全ての他の猿からと言うわけではないが、事細かに身体の特徴や様子を伺っている猿からの情報なら、かなり信憑性が高いのです。
逆に物事を的確に言い表そうとしない猿、若しくは言い表すことが出来ない猿として、食事にばかり夢中になっている猿が浮かんできます。
仏教の世界なら飢餓地獄にいる満たされない猿なのです。
食べる事以外でちょっとした氣付きから得られる幸せのない猿とも言えます。
なので、当然他の猿から自分のお尻の穴の特徴を教えてもらっても、返事に声を出すのも億劫なのか無反應で、あー鬱陶しいなーくらいな氣持ちです。
猿が争うのは、雄ならば、やはり繩張りのトップに立つ事で、繩張り争いと関係のない事柄なので、お尻の黒い点(ケツの点、欠点)を教えてもらってもいちいち怒ったりしないのです。
対して靈止は、服でお尻も隠れているし、社会生活を送る上でケツの点を見せる?見られる?のは、確かに不利というか逮捕されるけど、靈止でありながらも、猿のように最初からケツの点を見せたところで、人間社会のように欠点を見せても揚げ足取られない世界をイメージして(猿の惑星じゃないけど、よはり美しい原初の世界を思い描けば)生きていればアンチなんて湧かないのである!
それよりかは原初に立ち返り、知らない事を知れて有難うと言える世界に生きた方がコスパ良くないか?
要は素直で正直、器の大きいアホこそ神の望みだと知れば、神はわざわざ恙無く生きていくとは無縁の感情に踊らされる莫迦を遣わして貴方の平穏な生活を掻き乱さないのである。
心を掻き乱すのは、現狀維持に拘り、常に素直で正直、器の大きいアホでいられない自分なのである!
そんなこと言っても嫌な事は嫌で嫌な氣分のまま1日過ごす事もあるけどね!
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