過去と未来は

氷と水の関係なのかなーと思いました。

そして、水と雲のようでもあると。

固まった狀態に熱エネルギーを加えると、流動的になり、溶け始めから溶け終わるのがゲームでいうローディング狀態で、

流動的な狀態はゲームでいう起動狀態で、未来というのは、流動的であるということを続けた結果なのです。

過去は固定されているけれども、実は未来も過去も自分が選んだゲームという意味では一緒なのです。

キリのいいところで記録するポイントは、出来る限り氣持ちよい狀態で終われる所にしようと誰しもしますが、まだ氣持ちはふわついています。

ファミコンだと、ちゃんと記録出来たかどうかは次つけるまで分かんなかったりします。

ただ、本当にキリのいいところで氣持ち良く記録出来たら、ソフトにもちゃんと記録出来たようにも思えてきます。

ロールプレイングゲームの中を動くのは自分なのですが、動かすのは自分の意識なのです。

動かす自分が氣持ち良ければ、良い狀態で記記録出来た氣になるのです。

ソフトに確実に記録出来たとは別問題なのに。

よくあるのが記録したときに、実際は記録出来てないのに、記録したつもりで、いざ起動しようと記録をローディングした時、思いもしない前回記録から始まるということもあるということです。

こういった場合は、今度こそはと、記録出来てた筈の良い狀態を心の中から呼び覺まし、その狀態に持っていこうと動き回ります。

動き回るのは自分なのだけれども、実際ゲームの中の自分を動かすのは、指先と腦の意識なのです。

記録しそびれた分を取り戻そうと、意識を集中すると、本来記録出来たであろう地点に意識(この時点で記録になってる場合が多い)をピタッと張り合わせることができるのです。

そうすると、意識というのは過去をも超越し、鬼動いたという過程すら感じさせず、そこに意識をピタッと張り合わせたくらいのことをやり遂げてしまうのです。

※画用紙に点と点を結びつける最短の方法は、線で結ぶ事ではなく、点と点を合わせるのように折り曲げることである。

過程はあるのだが、以前は苦勞するように感じられた過程をすっ飛ばしているように感じるのは、意識のなせる技である。

意識は、地図の座標を知って(GPSにより)、最短距離や最速到達時刻を、情報量(経験)と緻密な分析で(AIで)加速する。

ここで一つ言いきれるのは、Googleマップですら間違った位置情報を記録し、表示することもあるわけで、ましてや靈止の軌跡を保存、記録が確実に出来たかどうかは言い切れないということです。

自身の観測者が自分という経年劣化する存在だからです。

ただ、誰しも良い記憶を心の中(腦なのか心なのか、ふんわりとしてて何処とは言い切れないけど)に仕舞い込めてきたことは間違いないです。

痴呆や認知症の靈止は、腦の衰えと共に、ふんわりの良い記憶だけにして、嫌な記憶とそれに纏わりつくものも消し去れるので、雲の上を歩いているような感覺で周りからしたら、何をしでかすか分からない、施設から飛び出て轢かれしまうかも分からない存在になる訳ですね。

でも、本人だけは幸せという、、、

そう、若いうちの苦悩は、年取ったらどう足掻いても忘れてしまうように出来ているのかな? 

最終的には、ワンネス、集合意識に帰っていくから!

高次元の情報と結びつくには、沢山情報を取らないといけないけど、次元が上がると少ない情報でも揺籠の中のような感覺になると言うのだから、この世は本当に逆でギャグなのである。

意識で記録するというのは、物質的に氷のように水分子が動かない狀態ではなく、もっと、フワッとしたものに意識した分だけ詰め込めるというものだから。

綿菓子をギュッとすればするほど、物質的には質量保存の法則で詰め込め固めれこそすれど、その樂しい氣持ちをさっと引き出すのは難しそうに思えます。

その樂しい氣持ちを保存するには、やはりふんわりのままでいれくてという氣持ちとふんわりを保とうという意識以外ないようにも感じます。

嬉しい時に身体がフワッと軽くなるように、ふんわりした雲のように、手は届かないけれども、氣持ちは届きそうな場所には保管できてるわけです。

量子力學の世界ですね。

観測すれば現実化する。

観測すれば、つまり意識をそこに持っていけば、瞬く間に見たい世界が広がる。

その樂しい記憶と雲のイメージを重ねると瞬時にそれに関連することが出てくる訳です。

氷は確実に記録を保存することが出来るけど、多大な熱エネルギーを加えたりしないと、引き出すことも出来ないし、勿論記録完了するには、冷凍庫の保存に必要なスペースもいるし、保存する量も大きければ、瞬間にという訳にはいかない。

に対して、雲というは、あのふんわりした雲に思い出いっぱい詰め込みたいと思えば、雲を空一面埋め尽くすほど大きな雲にしなくても、あのふんわりとした雲一塊だけで思い出を詰め込むことが出来るのです。

そして、あのふんわりした雲に樂しい記憶を呼び覺ますよう意識を重ねれば瞬く間に記憶は膨れ上がるのです。

過去に固執するのは、氷の冷たい生きづらい世界のままであることで、

鬼動いて、移動しまくっても疲れなくなるのは、身体が浮いたようなふんわりとした氣持ちで、樂しいことに意識を集中させているからなんだろうなー。

雲になれよ、和多志。

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