organicの語源はoriginで起源的なという意味で、農業に使われる場合だと、有機的なという意味です。大昔の農業に化学肥料なんてものはなかったですから、本質的な農業が有機農業ということになります。
産業革命以降の19世紀のヨーロッパでは人口が急増し、食糧生産に必要な肥料がとても不足していました。このような時代にハーバー(ドイツ、1868年~1934年)が空気中の窒素から肥料の原料となるアンモニアを合成する触媒を実験室で作りました。この功績により彼はその後「空気からパンを作った男」と呼ばれます。彼の技術を基にしてボッシュ(ドイツ、1874年~1940年)がアンモニアの大量製造(工業化)に成功しました。こうして完成したアンモニア製造方法は、二人の名前を取ってハーバー・ボッシュ法と呼ばれます。二人はその功績でノーベル化学賞をそれぞれ受賞しています。
「提供 つくば科学万博記念財団」
この技術(肥料の原料アンモニアを作る技術)がなかったら、我々へ穀物や野菜、穀物を食べる家畜の供給も、人類の増加による需要に追いつかなかった訳で、この世に生まれてすらいない人が世界人口の4/5はいたはずです。これは、牛や豚を育てるのに必要な窒素量や穀物を育てるのに必要な窒素量、人間の体を維持するのに必要な窒素量とかで、算出できます。
化学肥料がない時代は、人糞すら有効な時代がありました。豚便所は、中国発祥の便所システムで、人糞には、養分となる未消化成分が一部含まれており、雑食性動物であるブタは人糞を餌の一部に加えられることに耐えられるので、豚小屋の上にボットン便所を設け、人が用を足すとブタが人の大便を餌として処理する仕組みでした。野菜を多く摂取する中国では、未消化成分が多く、餌としての利用価値も相対的に高く、限られた食料を有効利用できるわけで、衛生的な面と道徳的な面を除けば、理にかなっていました。江戸時代に人糞を回収して微生物によって発酵して堆肥を作り畑に撒いたのと一緒で、人口が集まるような江戸では、人糞すら使わないと、人口に対して食料の維持ができなかったわけでしょうから。
現代は、化学肥料を使わないと、人口を支える食料も足りないですし、体を作る筋肉や臓器の元となるタンパク質も足りなくなります。
ただ、人間への蛋白質変換率を考えた場合、十分な供給量を確保するのに、持続可能な農業であれば、大豆や穀物などはオーガニックでもいいです。しかし、家畜の牛となると、化学肥料を使って穀物を作ったとして、牛の体を作るのにとんでもない量の穀物を餌としているわけで、人間と家畜の牛への蛋白質変換率を考えた場合、自分たちで直接穀物をとった方が自然環境への負荷も少ないです。本来人間が食べる大豆やトウモロコシも牛に大量に与えるために遺伝子組み換えにして栽培し餌にしていますが、オーガニックの大豆だろうがトウモロコシだろうが、そもそも牛の餌は牧草ですよね。オーガニックの大量の穀物の餌と一部は牧草を食べて育った牛をオーガニックとして売ってたとしても、本来自然の環境だけで育った牛とは違います。オーガニックライフを本質を捉える生活として捉えるなら、家畜の牛を食べることで、人間の食料の供給が圧迫されることになると捉えるべきでしょう。食べない方が本質的です。
オーガニックがいいからといって、アマゾンなんかで焼畑をしたところで、果物を作ってたものを採ったのを食べたとしても、オーガニックライフにはなりません。地元の人が、ジャングルにいって自然のものを採ってきて食べるとかだったらわかります。
人間も自然の中で生きていることを考えると、いくら体に良くても、自然の生態系に負荷をかけているようなものであれば、心も痛くなるし、できれば自然に近い環境で育った体にいいものを摂りましょう。
スーパーフード、アサイーは、木々を伐採することなく収穫できるため森林保全に繋がり、現地住民の重要な収入源になります。
スーパーフード、アサイーは、自然にも現地住民にも優しかったようです。
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